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do’nt look back in anger は、どう転がっても良い曲だったという話。

イギリスは今、混沌に満ちています。
テロの驚異に犯され、悲惨な事故が起き、EUからそのうち離脱する...。

これだけ色々あれば、本当に悲壮ですよね。
東日本大震災の時感じましたが、ひとつ国で色々あれば「国が無くなるんじゃないか?」と思うほど、悲壮な雰囲気になるものです。

でもイギリスのすごいところは、コンサートでテロがあれば、追悼の音楽フェスを開き対抗しました。
そして悲惨な事故があった後も、音楽フェスを追悼のために開きました。

日本なら消防法辺りを改正して、そもそもフェスをできなくするという、根こそぎ規制してしま事でしょう。

そんなイギリスで、今アンセム的な扱いになっているのが Oasisの don't look back in anger です。

https://youtu.be/r8OipmKFDeM

Oasisは、ギャラガー兄弟を中心にしたロックバンドで、2009年に兄弟喧嘩の末解散いたしました。
普段は、弟のリアムがボーカルを勤めるのですが、この曲は兄のノエルがボーカルを勤めています。
直訳すると、怒って過去を振り返らないで、となるこの曲。
歌詞に意味なんてないよと、コンポーザーのノエルは言いますが、今のこのイギリス人が求め感じる精神なのでしょう。
マンチェスターでのテロ以来、この曲はアンセムになりました。

テロリズムを、音楽で無力化する精神もすごいし、怒って過去を振り返らないという考えに至るのもすごい。
私には真似できないなと、素直に感心します。

そして、現地時間24日に開かれたマンション火災とマンチェスターのテロを悼む音楽式典で、兄と喧嘩したまま口もきいていないリアムが、兄のアンセムを歌いました。

Oasisのファンからしても歴史的なことですが、ロックを国が求めていて、それに応えるために有り得ないことが起きる、イギリスのエモーショナルがスゴい!

日本ではよく有事には娯楽が削られ、対応に集中しなければならない状況になります。
東日本大震災でも、熊本地震でも、影響の無かった地域まで緊縮ムードになります。

でも、イギリスではテロがあったマンチェスターで半月後にはアリアナ・グランデによる追悼ライブが行われました。

娯楽が当事者や街に、すぐ届けられるイギリスに私は感動しました。

そして何より、don't loock back in anger はとても良い曲だと改めて思います。
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いわゆる「共謀罪」と、埼玉県警による申し入れ




先日6/15早朝に、テロ等準備罪が参議院にて可決され、公布される見通しになりました。

テロリズムが世界で驚異となるアメリカの同盟国である我が国も、その驚異にさらされています。
危険な行為自体を取り締まる事は、我が国の平穏を保つ上で正しい話です。

ただ、危険な行為を計画した者を捕まえるために、わざわざ整備する必要があったのか?が疑問です。

殺人事件は、計画した時点で立証することができるのは、皆さんも承知の通りかと思います。
わざわざ、そんな事をする一般市民は希有で、ネットに殺人予告をする馬鹿者はちゃんと逮捕されているし、ネットが普及する以前から身近な人の通報で逮捕されていました。

今回、この法律が不味いのは、その「殺人事件」等という犯罪行為に当たるかどうかの酌量が、警察の判断による部分が大きすぎるという点です。

辞めなくてもいい、漫画

後藤正文さんのブログ記事「辞めなくてもいい音楽」を読みました。

音楽的に評価できるかは別として、音楽を(売れないからといって)辞める理由は無いはずだと主張している氏の記事は、元バンドマンの私にも強く揺さぶりをかけてきました。
それに、漫画のレーベル代表の側面である私にも、この会社を始めた時の気持ちを思い起こさせてくれました。

商業大手の出版社は、資本・ちゃんとした編集部・調整能力を有しています。
本を売りたければ、決められた額ですが資金投入をして、効果的に様々な宣伝も可能です(アニメ化も)。
また、その「何が効果的か」を知っていることでしょう。
書き手からすれば、「商業デビュー」はあるひとつの大きな目標であり、自分の技量の目安としている方も多いのではないでしょうか?

やはり商業大手には、私達は敵いません。
しかし、商業大手は「商業」しなければならないゆえに、書き手に無理な工程を強いなければならなかったり、書き手が書きたいものを書かせてくれなかったりします。
あと、著作権のあり方も非常に曖昧です。
(ここら辺は、漫画家・佐藤秀峰さんのブログやツイートに詳しいです)

音楽も漫画も、表現の一端であり、エモーショナルな部分を揺さぶる画期的な装置であります。
商業、資本主義的な表現だけを考えるばかりでは、エモーショナルな表現を、自分の根幹を揺さぶる価値観との出会いは、フォローしきれないのでは無いでしょうか?

インターネットが普及し、SNSや動画サイトが普及し始めた2006年以降確実に表現の仕方が増えていきました。
どれだけ無名な人が書いた絵でも、いろんな人から評価を受けられるようになりました。

後藤正文さんも、

『時代は変わって、俺らの目の前にはインターネットという巨大なライブラリが存在する。このなかでは、例えば絶版や廃盤がない。CDや本にしなくたって、誰かに何かを届けることが可能になった。』

『ある種の権威や、権威を笠に着るバカや、業界人や、CDや書籍にする作品を選ぶ人たちに選ばれなくても、作ったそばから、自分たちで音源をネット上に公開することだってできる。これは本当に素晴らしいことだ。』

と記しています。

日本人は、どうしても業界人=プロフェッショナル=正しいと判断しがちです。
そこに権威や力が生まれ、圧倒的なパワーで表現を均したり、デビューへの門戸を形成しています。

私がこの漫画レーベルを始めた数年前より、「たった今から描き始めた人が挫折するような環境しか用意出来ない社会・空気」を、私は少しづつ感じ始めていました。
漫画家がテレビに出てきてあれこれ語る姿や、漫画論を披露する姿に違和感しか感じません。

そうではなくて、作者である貴方が面白いと思う作品を書いて欲しいと思います。
そして、それがオリジナルならば少しでもリターンできるよう、頑張って売っていくためにレーベルを用意しました。
(更にオリジナルを扱うということは、著作権の非親告罪も児童ポルノ法改正も、我々の意思で回避することができますよね。これは後日ブログに書きます)

この後藤正文さんの言葉に、私の言いたい事はまとめられています。
最後に引用して、僭越ながら漫画を書く全ての方のエールとさせてください。

『やめなくてもいい方法をどうにか見つけてほしい。それが案外、この国の文化にとって豊かな土壌になるような気がする。』

(2017.05.20)

ハイコンテクスト文化と、ローコンテクスト文化

ハイコンテクスト文化と、ローコンテクスト文化というものがあります。

前者は日本などに見られるいわゆる「あ・うんの呼吸」など、空気を読んだり言わなくてもわかるコミュニケーションをとる文化と言われています。

後者は欧米などの、常に言葉によって相手に説明を行う人たちの文化です。

私はこのハイコンテクスト文化が嫌いです。

一聞いて十わかる、あ・うんの呼吸という、物事の本質を端的にわからなければ、行間を読まなければコミュニケーションはとれないのですが、それが苦手だからです。

さらにハイコンテクスト文化は、同じ方向性を持つ集団にしか効力がないそうです。

こういう経験がありませんか?
割とどうでもいいグループにいる時、気を使って話を合わせたつもりがひんしゅくを買ってしまう…という経験がありませんか。(例:職場でどうでもいい部長に話を合わせた、そんな仲良くない知人と話を合わせた)

ハイコンテクスト文化は、共通認識のバックボーンがあるから上手なバランスで成り立っています。
それは大きいくくりで言うと、「常識」というものになるでしょう。
その常識は、明文化されたものではなく場の雰囲気から感じ取らなければいけないので、これがいわゆる「空気を読む」ということになります。

一方でローコンテクスト文化は、とにかく細かいところまで説明をしなければなりません。
民族が多様な社会や、文化の異なる人々が集まった社会に多く見られる、コミュニケーションのひとつなのだそうです。
ローコンテクスト文化は、下手をすれば冗長な説明が必要となってしまうため、リロ整然と論理的に話す必要が生じてくるそうです。
まぁそれはそうですね。
文脈を組み立ててきちんと説明すれば長くても伝わりますよね。


さぁここで日本に立ち返ってみましょう。
日本は単一民族国家と言われているので(様々な概念がありますが)、ハイコンテクスト文化である事は言うまでもありません。
しかしながら社会人生活をしていると、端的に話せと言われることがあると思います。
これは、話さなければいけない内容をローコンテクスト文化の1番難しいところで行い、その話す機会を得るためには、ハイコンテクスト文化の1番難しい空気を読むというテクニックを駆使しなければなりません。

そう、日本ははいコンテクスト文化でありながら、説明するときにはローコンテクスト文化の1番重要な部分を行わなければいけないと言う、コミニュケーションにおいて非常に難しいハイブリットをしなければいけません。

しかし日本は、LGBTの方や特定の障害を持った方、さらには海外の労働者の方も多くなっています。
説明をしない、空気を読むと言う文化は通用しなくなってくるでしょう。
今のうちから、自分の意思をきちんと表明していかなければいけません。

私も日本人ですので、かなり周りの意見に流されてしまいます。
自分で自分が不安になります。笑
そして上の世代に意見をし難いという問題もあります。

ハイコンテクスト文化ではさらに、そういった空気を読めない人たちのことを「異端だ」と表してしまう傾向にあると私は感じます。

それが今回の表現規制問題であったり、共謀罪であったり、そういったくくりをつけてしまう考え方の発端なのではないでしょうか。


飯野賢治さんと言うゲームクリエイターが、Twitterを「誤解が生まれるからこそコミニュケーションが生まれるツールだ」と表しました。
(日本の場合は、炎上になってしまう可能性が高いのですが…)

否定するのではなく、え、なんで?、本当に?みたいな軽い誤解からコミニュケーションが生まれると言うのは体感としてよくわかります。

理想としては、Twitterの140字でポンポンポンポンお互い会話をしていって、理解しあうというのがわかりやすくていいのかも知れません。

能力の差や趣味嗜好、信条で人間が評価される段差の大きい社会ではなく、一人ひとりの能力が高い状態で維持できる社会を目指していきたいものですね。

ブログの名前を少し修正しました。

ブログのタイトルを「日々納得」から、「おたおたしてます」に変更しました。

理由は、「なんだか、このタイトルだとイケてる系コンサル経営者か、胡散臭い
イケてる系経営者人っぽくね?」と、思ってしまったからです。

新しいタイトルは、私が"オタク”であることと、影響を受けた宮澤賢治の「雨ニモマケズ」
の一節「オロオロアルキ・・・」からインスピレーションを受けました。

何にもできなくても、実際に赴くことが大切だなと思います。

これからもどうぞ、よろしく。
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